インターネットがなかった1980年代後半から90年代前半にかけて、バックパッカーとして海外旅行どうやっていたのか、おっさんが思い出綴った覚え書き
旅の情報源
地球の歩き方やLonely Planet等の旅行ガイドとそれに含まれている読者からの投稿、直近当地に旅した友人、地域に特化した旅行代理店など。海外の旅行ガイドは丸善、紀伊国屋など洋書を扱っている本屋でないと手に入らず、1ドル130円位の時に円建て価格は1ドル300円位のレートだった思い出。
地球の歩き方は取材陣+日本人旅行者のフィードバックで作られていたけど、エジプト、トルコを旅したとき、エジプト版の改訂が進んでなくて中身がお粗末で非常に困った。移動中の列車内で会った英語圏のバックパッカーにLonely Planetを見せてもらって助かったことがあり、そのときLonely Planetは英語圏向けなので日本語圏より旅行者が多いから寄せられる情報も多いのでは感じた。
この経験もあり、さらに日本人旅行者が少ない南米に行くときはSouth American Handbookっていう辞書みたいな旅行ガイドを手に入れて使った。この本を知ったのは多分文藝春秋の旅行に関する記事だったと思う。記事には「イギリスの出版社から出ているSouth American Handbookというのがある」とだけ書いてあった情報だけ。これだけを手がかりに都内の洋書屋を巡り、大学の図書館のレファレンスを使ったり辞書みたいな出版物ディレクトリみたいなのをひっくり返し、数ヶ月かけてどうやらここらしいと言う版元を発見。エアメールでやりとりしてかけて入手した。決済はその当時すでにクレジットカードが使えた。そのSouth American Handbookは2ヶ月の南米旅行でボロボロになったけどまだ手元にある。
航空券
旅行代理店に直接出向くまたは電話して価格を聞いて買っていた。情報源はエイビーロードっていうリクルートが出していた、パッケージツアーや格安航空券の広告が掲載されている電話帳みたいな月刊誌がメイン。これを買って航空券やツアーを探し、販売している代理店に連絡。同じ目的地に行ったことのある友人が過去に使った代理店を紹介してもらったこともあった。
旅程は代理店への電話や店舗で相談して決め、予約を依頼し、代金を現金で払い、出発前に届く旅程表をもらって成田空港の旅行代理店のカウンターで紙の航空券に引き換えるか、事前に郵送されてくる紙の航空券をもって空港のカウンターへ行くという流れ。
紙の航空券は裏にカーボンが塗られた紙が綴られ、カナダ乗り換え南米往復だと、成田→トロント、トロント→リマ、サンチアゴ→トロント、トロント→成田と4枚の航空券が綴られていて、表紙や裏表紙は航空会社ごとに個性的なデザインだった。
帰国便のリコンファームなる行為
帰国便は搭乗数日前までに搭乗意思を示すリコンファームが必要だった(今でも必要な航空会社はある模様だが、ほぼ不要と考えて良いらしい)。確実にするには電話ではなくエアラインのカウンターに行って紙の航空券にリコンファームした証拠を記載してもらう(シールを貼られたりカウンターで処理した旨のスタンプが押されたりした)のがいい、という都市伝説があった。日本への帰国便の出発地には1週間前位に入るようにして、まず最初にやるのは市中のエアラインの事務所に行ってリコンファームすることだった。
現地の宿や交通手段
交通機関
ヨーロッパ:イギリスや共産圏を除けば欧州大陸はユーレイルパスをメインに組み立てれば交通手段は余り気にする必要なかった。地球の歩き方の出版社がヨーロッパの鉄道時刻表も出していたので、移動の計画はそれで立てられた。現地手配が必要な場合現地で旅行代理店での相談や、駅の行列に並ぶなどをする必要がありそれで1日潰れることも多かった。
中東:現地で都度手配。
エジプト、ギリシャ、トルコと回ったときは、カイロで南部のルクソール往復の鉄道、アテネ行きの航空券を購入し、アテネではトルコのアンカラ行きの航空券を買った。エジプトでは闇両替対策で航空券購入時に銀行で正規レートで両替したことを示す両替時の伝票を提出しないと買えなかった。トルコの国内移動は夜行も含めた長距離バス。
南米:事前手配+現地手配
陸路移動が困難なルートと外国人向けパスがある場合はそれを利用した。リマからクスコ、ボリビアのラパスからパラグアイのアスンシオンまでは日本からの航空券を手配した代理店に依頼してその区間だけの航空券を購入した。アルゼンチンやブラジルはそれぞれの国の航空会社が国外からの旅行者向けに複数区間を安価に利用できるチケットを発売しており、日本の旅行代理店から予約できたのでそれで大都市間の移動はそれを使い事前に予約していった。このときはMCO(Miscellaneous Charges Order)と呼ばれる現地で航空券と引き換えられる紙のバウチャーを手配した旅行代理店に発行してもらい、それを持って現地に向かい、現地のエアラインカウンターで航空券に引き換える形だった。
クスコ−マチュピチュの観光列車やクスコからプーノの鉄道、そしてチチカカ湖を渡ってボリビアのラパスまでの陸路は現地の旅行代理店で購入。アルゼンチンのパタゴニアの1区間だけ、LADEというアルゼンチン空軍が運航している航空会社しか就航してないルートがあり、そこはLADEのブエノスアイレスのオフィスで買った。
宿
80年代終わりに初めてヨーロッパに行ったとき、初日の宿は地球の歩き方を見て目星を付けた宿に国際電話かけて予約した。それ以外は地球の歩き方を見て目星を付けておいて直接行く、現地で「i」のマークの観光案内所に聞いて紹介してもらったりしてどうにかなっていた。
南米旅行での思い出
南米を2ヶ月旅行したときは私を含めた3人がバラバラで出発し、1ヶ月後位にブエノスアイレスのこの宿で再会しよう、って宿を決めておいた(予約はしなかったけど)。1ヶ月後、そこで無事再会し、アルゼンチン名物の肉とワインで乾杯した。
パラグアイの首都アスンシオンは上述の通りラパスからのチケットを買っていったため、到着日程が読めていたので実家の両親にはアスンシオンの日系ホテル「内山田旅館」(いまでもある)にx月x日から数日間は滞在していると思うので何かあったら連絡して」と連絡先電話番号を置いたメモを残しておいたところ、プールでのんびりしている最中に母親から電話がかかってきた。このとき何故電話がかかってきたのか、というと、ブエノスアイレスで合流予定の知人、カーニバルを見るべくリオデジャネイロから入った友人Aが到着早々盗難に遭い、その数日後にリオ入りする予定の友人Bに電話して盗難被害に遭ったことや持ってきて欲しいものとかを依頼してきたから。それを聞いた友人Bの両親から私の両親に連絡が入り、私のことが心配になって電話したとのことだった。