2016年03月19日

人事異動の季節に思い出すこと

自分には関係ないけど世の中人事異動の季節。
 転職を繰り返しているので社内異動を経験したことはほとんど無いのだが、20年以上前、自分たちに本当に期待されてたミッションは何だったんだろうかと思う異動があり、当時一緒に働いた先輩Hさんと会うたびにあれは一体何だったのだろうという話になる。

 1995年1月末、阪神淡路大震災の2週間後くらいだったと思うが、上司から異動を告げられた。告げる上司も異動の目的が読めないからなのか、鳩が豆鉄砲食らったような雰囲気だったのを覚えている。同じタイミングで隣の部署の課長Yさんと係長Hさんも同じ部署への異動を告げられた。

「所属は本部長直属。この3月期に売上を上げられそうなもの、何でも良いから見つけ、売上立てること。」
これが目標と企画部門長から言われ、その部署での日々が始まる。本部が扱ってる製品は、主に樹脂やタイヤ工場の生産ラインで使われる機械。基本モデルはあるが客先の仕様に応じて作る受注生産品で、案件額は規模にもよるが、1台数千万円から大規模なものになれば10億円位にもなる。受注から売上(出荷)にかかる期間も商談も長く、最低でも受注から出荷まで半年以上かかる。3月の売上を1月下旬から仕込むなんて普通の事やってたら当然できない。3人で途方に暮れるスタートだった。

 私たちには会議室として使っていた部屋を専用にあてがわれ、今で言うならリストラ部屋みたいだが、昨今のリストラ部屋の様な制約は一切無かった。部屋の出入りは自由、電話もあり、出張も自由。PCも一台、私が異動前の部署で使っていたMacintoshのSE/30をそのままもってきたので、自由に使えた。当時、インターネットなんてものは無かったけど。
 3人で日がな色々考え、震災直後だったこともあり、震災時に現場に展開するコンテナ型の復興ユニットみたいなものを企画してみたり(これは今思うとマジに特許か実用新案くらい出しときゃよかった)、工場にネタを探しに行ったり、互いのコネを使うなどしてお客さんのところに行ったりと活動するも、当然売上に全くつながらない。だが、本部長から「売上全然あがらんやないか、何しとる」と責められるわけでもなく、逆に「最近どうや、食事にでも行くか」と変な励まし?!がある始末。何かあれば3人で「一体本部長は何を考えて私たちにこの仕事させてるんだろうか」と探り合うも、答えは出てこなかった。

 3月を過ぎても私たちの活動を止める様な指示はなく、いろいろな活動を続けるも、異動前から転職活動を開始していた私は転職先が決まり、1995年夏に退職。その数ヶ月後、Hさんは神戸へ異動。Yさんは「今は嵐の中で時折様子を見ながら耐える時期だと思う。この嵐を耐えれば可能性が開けると思っている。自分はそれまで頑張ってみる」と私が退職する時に語り、Hさんの異動後もその言葉通り一人で頑張り、私たちがいた部署を作った本部長がいなくなってから異動前の部署の部門長に返り咲いて活躍されたとのこと。その後、残念ながら一度も再会する機会はなく、10年ほど前に訃報がとどいた。




2016年03月11日

震災の日の記録(東日本大震災と阪神淡路大震災)

Yahoo個人で「東日本大震災からもうすぐ5年、その日のことを書き残しておきませんか」という記事を見たので、思い出して書いてみました。自分としては東日本大震災以上に阪神淡路大震災の方が関わりが大きかったこともあり、また、3.11には皆黙祷したり鉄道会社が訓練をしたりするのに対して、1.17が忘れ去られている様なので、2011年3月11日の東日本大震災と1995年1月17日の阪神淡路大震災当日の両方を書きます。

阪神淡路大震災(1995年1月17日)
 3連休明けの火曜日で、夜から神戸に出張する予定だった。そんなことを前日実家の両親とも電話で話していたからなのか、目覚ましが鳴る前に電話が鳴り、出ると母親から。

「今日神戸には行けないわよ。今すぐテレビつけなさい」

そしてテレビをつけたのが7時ちょっと前だと思うが、神戸で大地震があったことと、NHK神戸放送局局内が激しく揺れる映像が流れ、「阪神高速が崩れたとの情報があります。」とアナウンサーが言っていた記憶がある。
そのときの映像はこれかなあ。


 当時は勤務先の独身寮住まいだったので、着替えて食堂に降りると皆テレビに釘付け。神戸に本社も工場もある会社だったので、それぞれが互いの事業部や同期のことを心配していた。当然だけど東京は何の影響もなくそのまままずは会社へ。会社に行っても今の様に情報があまり入ってくることはなかったが、神戸の工場との連絡は取れず。
 この日の会社での出来事で未だによく覚えているのは、昼過ぎだったか、関空で足止め喰らっていた隣の部署の先輩が戻ってきたときに開口一番、私に聞いた「おいKよ、今日の為替いくらや?」という一言。当時の勤務先では毎朝9時半頃、その日の円ドルレートが社内放送されていたが、それは平常通りに流れていたな、そういえば。翌18日に社長のメッセージが全社放送で流され、社員が2名亡くなったことが知らされたことを覚えている。この地震の後、船積担当部門から初めて聞いた言葉が「抜港」。船が予定していた港に立ち寄らずに行くこと。

東日本大震災(2011年3月11日)
 下旬の決算発表に向けて勤務先で平常通りの業務。TwitterとFourSquareのログを見るとこの日のお昼は蕎麦を食べていた。そして、午後3時前、社内のあちこちで緊急地震速報が鳴り響いた。このときまず最初に思い出すのがフロアの避難誘導担当を任命されていた社員の「すぐに机の下に入ってください」。執務場所は23階、この後、今まで感じたことのない様な揺れがやってきて、机の下でやり過ごす。その間怖かったのはキャスター付きの椅子が前後左右に動き回っていることで、幸い自分にぶつかる様なことはなかったものの、机の下にいても恐怖感を感じた。地震の時、キャスター付きの椅子には気をつけよう。
 揺れが落ち着いて机の下から出るも、ブラインドが揺れ続けて窓枠に当たりドッカンドッカンと音を立てている。以後は当日の自分のツイートで思い出してみる。

地震直後のツイート
「机の下から出ました。窓際に行くとビルが揺れてるのがわかる。まだ揺れてます」14:55 - 2011年3月11日

まもなくビルの防災センターからの放送があったと思う。ただ、防火扉が一時的に閉まり、フロアから移動できなくなっていた。六本木ヒルズ森タワーは遠目で見てもわかるくらい大きく揺れていた。

以後、元々予定していた打ち合わせなどをこなしつつ合間にぽちぽちと。津波の映像が流れてきたり、東京湾岸エリアから火の手が上がったりして周りも落ち着かなくなってきた。社内のツイッター的なツールのタイムラインには在宅勤務者から居宅周辺の情報も流れていた。

以下はその後のツイート
「実家の親と連絡ついたがメールが1時間近く遅延して到着」16:38 - 2011年3月11日
「青山通り、歩道人多い。」16:39 - 2011年3月11日
「電源とれる環境にある人は今のうちに携帯充電しておいた方がいいと思われ」16:49 - 2011年3月11日
「帰れる人早めに撤収しましょう。」17:25 - 2011年3月11日


部下は歩いて帰るとのことだったので安全を確認して帰るようにと帰し、午後6時過ぎだろうか、私も歩いて帰ろうかと思いつつも、同僚が「その前にまず腹ごしらえしておいた方がよくね?」との誘いもあり、エレベーターが止まっている中、23階から1階までを階段で降り、3人で近所の居酒屋へ。後で聞くとその2人は元々その晩飲む約束をしていたと。

「スタジアム通りの呑み屋は絶賛営業中。まずは時間潰しと腹拵え。Izakaya around Gaien Mae open as usual. I am having supper and beer with my colleagues before walk to home.」19:16 - 2011年3月11日

ということで居酒屋にてしばし過ごす。店の人にビルの中の揺れのことを話すと「え、あのビルにいたんですか。避難で外に出たのですが、隣のビルとぶつかるんじゃないかっていうくらい揺れていましたよ」と。六本木ヒルズの揺れが見えたくらいなのだから、近くで見ると自分のいたビルの揺れもすごかったのだろう。

飲みながら時々ツイッターをチェック。22時半頃だろうか、大江戸線運転再開の情報があったこともあり、青山一丁目に向かう。同僚の一人は会社で夜を明かすことにして会社に戻る。

青山一丁目に着くと銀座線も運転再開しているとのことだったので、銀座線で新橋に向かうことにした。そして新橋で都営浅草線に乗り換え。

「新橋にて都営浅草線乗り換え待ち。混雑のため入場規制あり。I Shimbashi &waiting to enter platform due to congestion.」23:15 - 2011年3月11日
「大門、大江戸線乗り換え客が浅草線ホームに溢れてます。」23:31 - 2011年3月11日
「大門、大江戸線乗り換え客が浅草線ホームに溢れてた。三田駅は浅草線乗り切れない位の人。」23:36 - 2011年3月11日


電車の中でアジア系と思われる外国人の方に片言で行き先を聞かれる。そりゃ不安だわな。

「東急は動いてるが面倒なので浅草線西馬込から歩く。Good job Metropolitan subway !」0:01 - 2011年3月12日

西馬込に着いたのは日付が変わった頃だろうか。そして国道1号をてくてくと歩く。

「国道一号 (写真)」0:07 - 2011年3月12日
「国道一号下りは環八矢口陸橋から10km渋滞。日産プリンス東京池上店がトイレと休憩場所開放中 (写真)」
0:13 - 2011年3月12日
「自宅着。奇跡的?!にも自宅被害なし。I am at home. There's no damage both myself and home.」0:40 - 2011年3月12日


この後、固定電話から実家と欧州にいた弟と電話をした。
そして、お風呂に入ろうと思いガスのマイコンメーターをリセットしてお風呂を沸かし、お風呂から出てからつぶやいたのがたぶんこれかと。

「全く揺れてないのだが揺れの記憶がまだ残っている感じで違和感。」2:44 - 2011年3月12日

そして寝た。
原発があんなことになっているとはこの時点では全く気にもかけていなかった。。




2009年08月22日

消しちまったよって.....Houston, We Erased The Apollo 11 Tapes

ちょっと古い話
アポロが月にいって(ホントに行ったなら)40周年の今年ですが、NASAが月から送信され、TV放送用に変換される前のオリジナルの映像が記録された磁気テープを他の用途のために上書きしてしまったらしく、月面から送られてきたオリジナルの映像は消えてしまったと。
詳しくは以下で。
http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=106637066

2005年09月07日

今日の夕焼け

20050907
九州、四国、中国地方に大きな被害をもたらした台風14号の余波が関東地方を抜けた今日、西の空に見事な夕焼けが広がっていた。
明日以降、台風が運んできた夏の空気のおかげでしばらく夏に戻ったような天気が続くようだ。一方で蝉に代わって耳にはいるのは秋の虫の鳴き声、いつの間にか夏は終わり秋はすぐそばにきている。